
ルセラのカズハとエンチのKヒョンが文春砲食らっちゃいましたね。
同じHYBEグループ所属だし、二人とも完全にアスリート系だからお似合いといえばお似合いだし、アイドルといえども人間だから恋愛自体を否定はしないんだけど、やっぱりどうしてもモヤる感じ。まあこの熱愛スクープとやらが事実だった場合、言ってしまえば社内恋愛に近いわけでそれぞれのオタクの気持ちを考えてしまうとちょっと胸が痛い。
ここで一旦とあるエンチムペンのルネ(うちの嫁)の声を聞いてみましょう。
「さすがにHYBEが撮らせたんじゃね。&TEAM売れないから話題作りだよ!」
ふむふむ、これが冷静な分析によるコメントなのか、単なる現実逃避なのか分かりませんが、一部ではクソ事務所として定評のあるHYBEならやりかねないという所が恐ろしいです。
ズハペンには申し訳ないけれど、正直なところKと相手の女の子が「Kep1erのマシタンでなくて良かったぁ〜」とほっとしている自分がいます。Kヒョンあんなきれいな顔してLDH系統のオラオラ肉食系っぽいんですよね。
今回はこの二人のように韓国に渡って活躍されていた日本人Kポップのパイオニア達のお話です。
先日新人ヨジャグルのデビューラッシュの記事をアップしましたが、その中のRESCENEのマンネ・ゼナちゃんが「青春スター」出身となっていて調べたら、後のn.SSignが優勝したオーデション番組だと。この日本のオンマペン必死の応援で知られているn.SSignメンバー・カズタの紹介に必ず出てくるキャッチフレーズがあるんですね。
「Kポップ初の日本人リーダー」だと。
あれー、そんなわけないだろう。少なくとも現在カムバ準備中のLapillusシャナがいるし、仮に「初のボーイズ日本人リーダー」だとしても何か他に見た事あったよなぁ。別に本人が言い出しているわけではなく、こういうのは事務所やレコード会社などが適当に付けてるのだろうからイイ迷惑な話です。ちょっとネットでググればすぐ出てくるものを「言ったもん勝ち」とばかり自分達のフレーズにしちゃうやり方はあまり感心しないな。
そういえば「Kポップ初の日本人」が "Fで始まる" トモこと藤原倫己だというのも一時期、信じてました。
グループであるA'st1(エースタイル)が当時の超大手DSPだったという事と日本に帰ってきてからも音信不通になることなく古家さんのようなイベントMCからラジオパーソナリティー等までコンスタントに幅広く活動していた部分が大きいのですが。
こちらもおそらくスターダストがきちんと調べもせずに「初の」を勝手に付けてしまったのかなと推測します。
彼に関してはそれよりも「父親が藤原敏男」という事実の方が衝撃でした。お母様が韓国人なので日韓ハーフなのですね。
A'st1は2008年4月に『1.2.3.4. BACK』でデビュー。トモ以外は韓国人4人、中国人1人という6人組多国籍グループでした。
翌年11月には解散なので約1年半が活動期間となります。デビュー初期はなかなか地上波出演も難しく本人曰く実質半年程度の活動だったとかSHINeeを実際に見てあまりのレベルの違いに泣いた等、ネタのように話していますが生のKポップをに体験しているだけにどのエピソードもリアル。現在に通じるKポップの練習生システムと1年間を文字通り朝から晩まで地下室から一切出られないというシステム化される以前の伝説級の過酷な練習法とを経験した貴重な語り部でKポップ日本人パイオニアの一人であります。
ご存知の通りKポップ以前、韓国歌手といえば日本ではチョー・ヨンピル、パティ・キム、桂銀淑、キム・ヨンジャといった演歌系にカテゴライズされた人達でした。KポップはおろかJポップという呼称も無かった80年代黄金の日本歌謡界は演歌もまだまだ元気でした。84年デビューの神野美伽さんはソウルオリンピック前年の旅番組ロケで初めて韓国を訪れて以来、韓国人の熱い音楽愛に魅せられ「いつか韓国でデビューする」という夢を持ち、12年後に実現させます。1999年デビュー15周年記念の一環として『海峡を越えて』を韓国発売し、KBS「歌謡舞台」「開かれた音楽会」などにも出演したそうです。彼女も順番が全てではありませんが「初めて韓国の番組で歌った日本人」ではありません。
その当時のアジアマーケットで強い影響力を誇った日本人アイドルこそが、どうやら初めて「韓国放送で初めて歌った日本人」として認定してよさそうです。ズバリ、少女隊です。
ボンド企画が30億円を投じた大型デビューで知られる少女隊は日本でこそ大ブレイクとはなりませんでしたが、東南アジアツアーを成功させるなど香港・台湾を中心に絶大な支持を得ていたようです。香港の開心少女組や台湾では同じ名前の少女隊(ビビアン・スー在籍)、韓国でも同じ3人組グループ・セトレ(メンバーのイ・ヒジョンは後にBaby V.O.Xにイ・ガイとして参加。10歳サバ読みの事実が発覚し脱退。入れ替り加入したのがユン・ウネ)等が少女隊の影響下で作られたほど。
日本文化開放よりはるか前、1986年の第9回ソウル国際歌謡祭で銀賞受賞で『ハレーロマンス』の英語バージョンを披露。
1988年8月ソウルオリンピック前夜祭ではマレーシア歌手ラザエマと韓国のパク・ヘリョンとの『KOREA』合同舞台で日本語で1フレーズ歌った瞬間です。
神野さんも少女隊も日本の強固なバックアップによる韓国進出なので次ページ以降に掲載する一覧には載せませんが、ソウルオリンピックの1988年、韓国という国を日本人はまだまだよく分かっていませんでした。近くて遠かったこの時代に両国の架け橋となり韓国を見据えていた事案として紹介しました。